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“ベトナムの女ベッカム”「最大の夢はワールドカップ出場。叶えられない夢じゃない」
2020/02/01 09:48 JST配信
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(C) VFF

 東京オリンピック出場を目指すベトナム女子代表のエースであるグエン・ティ・トゥエット・ズンが地元紙の取材に応じて、自らのサッカー感や生い立ちなどについて語った。同選手は2018年のゴールデンボール(年間MVP)を受賞した、高いテクニックを持つミッドフィルダーで、両足から繰り出す精度の高いフリーキックとドリブル突破が武器。所属先の名門フォンフー・ハナムは赤がチームカラーで、背番号7を好んでつけることからファンの間では“ベトナムの女ベッカム”や“ベトナムの女ロナウド”などと呼ばれている。

-サッカーを始めたのはいつですか?

「幼少期です。5~6歳だったでしょうか。近所の男の子たちのグループに混じってボールを蹴っていました。女の子は私だけ。親に見つからないよう、こっそり遊びに行ってました。当時は、女の子がサッカーなんてするもんじゃないの!と母からよく叱られていました。私自身、どうしてそんなにサッカーが好きだったのか分かりません。女の子たちの遊びには参加しないのに、男の子たちがサッカーをしていると必ず参加していました。男の子とばかり遊んでいたせいか、よく叩き合ってました(笑)。周囲からはお転婆で、まるで男の子みたいだと言われてましたが、気にしませんでした。私は自分の好きなことに夢中だったので」

-サッカー好きの少女がプロ選手を志すきっかけになった出来事は何でしたか?

「フォンフー・ハナム下部組織のセレクションがあった時、近所の男の子たちが挑戦してみろ、と言ってくれたんです。父は最初から応援してくれて、母も私が幼い頃からサッカーに夢中だったので、最後には同意してくれました。セレクションの結果は合格。当時私は13歳でした。貧しい家庭だったので、チームに入れば、私にかかる生活費や学費の負担がなくなると考えました。私も好きなサッカーが出来ますし。当時からハナムは女子サッカーが人気で、親戚も応援してくれました。入団前日の夜には、大勢の人が家に集まりました。みんな貧しかったのに、去り際に心付けを置いていってくれました。とても感謝していて、今でもはっきり覚えています」

-8年生(日本で言う中学2年生)でフォンフー・ハナム下部組織に入団するのは大変ではありませんでしたか?

「初めのうちは家が恋しくて仕方ありませんでした。両親を思い出し泣いて眠れない夜が多かったです。まだ携帯電話も持っていませんでしたから、家族に電話をかけようと思ったら、200m程離れた郵便局までいかなければなりませんでした。それに、当時の自宅には固定電話がなかったので、まず近所の人に電話して両親に取り次いでもらっていました。また、当時はバイクも持っていなかったので、両親はセオム(バイクタクシー)に頼んで私をチームまで送り届けました。私を訪ねる時もセオムを利用していました。当時のフォンフー・ハナムの本拠地はズイティエン町ホアマック地方にありました。私の実家から23~25km程の距離です。お金がなかったので、友達と一緒に歩いて帰ることもありました。歩きながらヒッチハイクを試みて運が良ければ途中まで乗せてもらい、降りてからまた歩き続けました。そうやって家に帰るのが楽しくて、貧しかったですが、よい思い出になっています」

-幼い頃、最も辛かったことは何ですか?

「色々ありました。ハナム省は貧しい地域ですから、待遇面もよくはありませんし、クラブを維持していくだけでも大変です。廃棄されたタイヤを使ってタイヤ引きのトレーニングをしていました。苦しい環境でしたが、それを乗り越えることで人は強く成長します。その環境の中で先輩・後輩の関係も学びました。自然と先輩は後輩の面倒を見るようになっていくのです。チームの中でグループに分かれて掃除や料理を担当します。後輩が何か分からないことがあれば、先輩がお手本を見せなければなりません」

-苦しかった下部組織時代を振り返った感想は?

「入団以降もサッカーへの情熱は高まるばかりでした。トップチームには私のアイドルだったバン・ティ・タイン(元ベトナム代表)がいて、彼女が努力する姿を毎日見ていました。両親の存在も励みになりました。入団してから2010年までは、家族を助けることが出来ていませんでした。クラブで得られる報酬は微々たるもの。少しのお金と栄養摂取のための砂糖とミルク、数か月後には6万VNDの手当がもらえて、この金額は少しずつ上がっていきました。2011年に代表チームに呼ばれるようになって待遇面も次第に良くなり、家族に仕送りできるようになりました。当時の女子サッカー選手の給料は決して高くなかったですが、私にとっては大金で、家族を助けることが出来ました」

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[2020年2月1日 ベトナムフットボールダイジェスト]. 
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